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浜松城

尾張国と三河国(現在の愛知県)出身で、戦乱の時代から天下統一へと導いた戦国武将といえば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」。彼らはその天下統一の過程で、いくつかの立派な城を建てていますが、それらは「戦う城」から「魅せる城」への転換期でもあると考えられています。つまり、今日見る城の豪壮華麗な美しさは、この時代が原点にあるのです。当時の歴史と美が集結した「城」という貴重な建造物を、実際に見て、歩いて、愉しんでみてはいかがでしょうか。

織田信長画像(部分)
(豊田市長興寺所蔵 / 写真協力 豊田市郷土資料館)

豊臣秀吉画像(部分)
(高台寺所蔵)

徳川家康画像(部分)
(久能山東照宮博物館蔵)

軍事的拠点から政治的・文化的表現の場へ

日本の城というと、一般的には立派な天守や石垣を持った城郭を思い浮かべるかもしれません。しかし、このような豪奢な城の多くは江戸時代に築かれたもの。それ以前は、主君とその家族は眺望のよいところに館を置いて居住し、城といえば連絡用の城や、国境や街道を見張る城など、戦時用としての城砦が館の周囲にいくつか点在しているのが一般的でした。

  • 城の役割を大きく変化させた人物といえば織田信長です。信長は次なる目標のそばに城を移して侵攻するという方法を取り、那古野(なごや)城、清洲城、小牧山城と本拠地を移したあと、1567年に美濃国(現・岐阜県)の稲葉山城を攻め落とし、岐阜城と改名して居住しました。このときまでは単に籠城(ろうじょう)して戦うための城でしたが、次の安土城では、軍事的な拠点以上に、政治的・文化的な面を重視。その象徴的存在が、天守です。城下のどこからでも壮麗な天守が見えるようにして、自らの権威を示したというわけです。
  • 岐阜城

  • 大阪城 黄金の茶室(大阪城天守閣蔵)

  • さらに豊臣秀吉の時代には、関白の政庁として城が築かれ、桃山文化を代表する城郭建築を生み出します。大阪城や聚落第(じゅらくだい)などがよい例で、城主が生活する平屋の建物は御殿(ごてん)と呼ばれ、居間を中心にした書院造りとなっており、対面所となる大広間の壁や襖障子には狩野派などの絵師による金碧濃彩の障壁画が描かれました。また有名なのは「黄金の茶室」でしょう。壁・天井・柱・障子の腰をすべて金張にし、黄金の茶道具が置かれたと伝わっています。
  • 徳川家康の時代になると、城は完全に「政(まつりごと)」の場として機能するようになります。もちろん優美な建築物であることは変わらず、特に家康が九男義直のために建てた名古屋城の本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作といわれ、京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家書院造りの双璧と称されました。その後、家康は江戸城に拠点を移し、以降、徳川幕府は250 余年も続いていったのです。
  • 名古屋城 本丸御殿

城を散策する楽しさは千差万別

一般的な城は、居室、書院、対面所がある「本丸」、藩役所、武具蔵(ぶぐこ)のある「二の丸」、屋敷、蔵、馬屋(ばや)のある「三の丸」の多重構造になっており、それを取り囲むように堀があります。その迷路のような造りを歩いて確かめるのは胸躍る体験です。

もちろん軍事的要塞の側面があるので、様々な防御機能があります。たとえば塀や櫓(やぐら)には小窓「狭間(さま)」が設けられており、使用する武器により、矢狭間、鉄砲狭間、大砲狭間、石狭間と呼ばれています。また城の出入り口を「虎口(こぐち)」といい、敵の侵入を防ぐために様々な工夫がなされています。さらに虎口や石垣に近づく敵を横から射るための「横矢(よこや)」という屈曲も設けられています。

駿府城 お掘

掛川城 石落とし

大阪城 狭間(大阪城天守閣提供)

また今日の天守の多くは、資料館として歴代城主の生い立ちや時代背景を記したパネル、当時の城下町の模型、具足や戦道具などが展示されていたり、最上階は大パノラマを臨む展望台があるなど、城の成り立ちや実際の構造を体感的に理解できるようになっています。城は遠くから眺めるだけではもったいない。中に足を運んで、機能美や歴史にも触れると楽しさ倍増です。

長篠合戦図屏風 犬山城白帝文庫蔵

名古屋城 金の鯱

岐阜城 天守閣からの眺め

三英傑、そして戦国武将たちが活躍した城の魅力

信長の幼少時代の拠点だった那古野城(現名古屋城)、稲葉山城に新たに造営した岐阜城。秀吉46 歳のときに築城した大阪城、53 歳で無血で落城させた小田原城。家康が本格的に築城した浜松城や名古屋城、徳川幕府の拠点となった江戸城……。東海道は三英傑が築き、攻防を繰り広げた城の宝庫であり、並みいる戦国武将たちによる活躍の場でした。見て回るだけでも楽しい城散策ですが、当時の時代背景やそれぞれの歴史、城主の思惑や戦い方などの影響で大きく変化を遂げた城の存在意義まで理解すると、その奥深さに感動することでしょう。

徳川幕府による「一国一城令」、明治維新の廃城令、戦争や火災により、現在では天守をもつ城は全国に60 城ほどしかありません。そのうち往時のまま現存しているのは12 城です。しかし、往時のままの城でも復元された城でも、その豪壮華麗な存在感は変わりありません。400 年以上の時をタイムスリップできる感覚や、建造物としての秀麗さなど、今日遺された城を見るとき、私たちは悠久の歴史と美に感じ入ります。東海道の城、注目のポイントをご紹介します。

往時の天守が現存する国宝2城

江戸時代からのままの姿で現存する彦根城と犬山城は、天守などその一部が「文化史的意義が特に深い」とされ、国宝に指定されています。彦根城の天守は3層3階と規模は小さいですが、華麗な意匠と優雅なたたずまいが特徴的です。木曽川南岸標高約40m の崖の上にそびえたつ犬山城は、別名「白帝城」と呼ばれる美しさ。天守は現存する日本最古の様式です。歴史の荒波を乗り切り、往時の姿を今に伝える国宝2城には、一段と風情がただよっています。

天守からの眺めを愛でる

現存または復元にかかわらず、多くの天守は最上部まで登ることができ、かつては城主と側近だけが目にしていた雄大な景色を堪能できます。お勧めは彦根城からの風景。天守から絵画のように美しい琵琶湖と湖西の山々を臨めます。また現在の城郭のうち有数の高所(標高329m)に建つ岐阜城からは、市内を一望できます。春・夏・秋は夜間営業も実施され、まばゆくきらめくパノラマ夜景はオーロラに喩えられる美しさです。

時代の節目を見守ってきた城

清洲城は、織田信長公の天下取りの出発点であり、その後も天下泰平を目指す武将が重要拠点にしていた城です。また小田原城は3代当主北条氏康の時代には難攻不落、無敵の城といわれ、上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐えました。二条城は幕末の慶応3 年(1867)に15 代将軍徳川慶喜が大政奉還を発表した場所です。このように城は、歴史の転換点となる大事な節目を見守ってきた空間であり、今にその歴史の重みを伝える場所でもあります。

城主を栄達に導いた出世城

いにしえの時代に「東海の名城」と呼ばれた掛川城。豊臣秀吉の直臣だった山内一豊は、秀吉の没後、「家康につくか、(石田)三成につくか」と問われ、家康への忠誠を誓い、掛川城を差し出す宣言をします。この一言で家康の歓心を得た一豊は、土佐20 万石の大名へと出世しました。また徳川家康の居城として知られた浜松城は、藩政260年の間に25 代の城主が誕生、在城中に幕府の要職に就いた者が多く、こちらも出世城と呼ばれるようになりました。

公園として親しまれる珍しい城跡

城跡は土塁や堀しか残っていないことが多いですが、栄枯盛衰を感じさせ、古来より歌や詩のモチーフになりました。山中城は「山中城跡公園」として、自然と融和し、雄大な富士を臨める場所にあります。特に障子の桟(さん)のように見えることから障子堀と名付けられた水堀は、山城では非常に珍しいものです。駿府城も市民公園として親しまれ、復元された東御門、巽櫓(たつみやぐら)、一部発掘された本丸の堀など、大御所時代が偲ばれます。

天下の名城、ここに極まれリ

空にそびえる大天守を初めて建てたのは、織田信長と伝えられます(安土城)が、織田信長の後継者を自認する豊臣秀吉は、信長の安土城をモデルに大阪城を築城。本丸の築造だけでも約1年半を費やし、その後も15 年の年月をかけ難攻不落の居城に仕上げました。一方「 尾張名古屋は城でもつ(名古屋は名古屋城のおかげで繁栄している)」とうたわれた名古屋城は、徳川家康の指示により築城され、尾張の中心を清洲城から移動させたという歴史的な名城です。その家康は、今度は関八州(関東8カ国の総称)の太守(たいしゅ)として江戸城へと入城。当時は小規模で質素な城だったため、西の丸、三の丸などを増築したり、道三堀という人工の水路を造ったりして、幕府の政庁にふさわしい名城に仕上げました。現在では、大阪城と名古屋城は復元され、江戸城は皇居となり、堀や石垣、門、櫓などの遺構が当時の面影を遺しています。

2015年3月11日更新

YouTuber Kazuの新幹線で日帰り「ふじのくに静岡」大大大大満足旅!!

東海道新幹線沿線

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